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つぶやき!レゲ娘


機種名

日本初のゲーム娘。白光(薄幸)な姉妹

●1975年9月12日製造/出身地:静岡?/発売:イーポック社

モノクロ1ゲームを搭載した日本初のゲーム娘。ゲーム画面を無線でテレビに飛ばす機構で、妹のアンテナ子がお宅のテレビの上に乗っている必要があるため、いつも妹姉二人一組で住ませてくれる家を探し回っている。日本初の娘だけに故障しやすく病弱である。

やさしいお姉さん

アンテナコ
【アンテナ子】
テレビの上に座って、テニスコからでるゲーム電波をテレビに映すデバイス娘。姉だけが頼りのあまえんぼう。たいていネコの格好の的となり、蹴落されたりなめられたりしては泣きだし、ご家家庭の人から追い出される理由になってしまう。
CPUを搭載せずTTLで知能を構成しているのでおっとりでゆっくりしている。基本的に1ゲームしかできないので、いろいろ遊びを工夫してご家族気に入られようとするが、妹がいつもテレビの上で失敗するため、なかなか定住先が決まらない。だけど、絶対妹は責めないやさしいお姉さんで、希望を持って旅を続けている。
まだ実験機の意味もあったためか、髪のコントローラーがやたら横に長い(その割りに体重はwii子と変わらない)など非効率な面が見られる。

おいたちの謎

日本初のゲーム娘ということで知名度だけはばつぐんだが、そのおいたちには謎が多い。彼女を作ったのはそもそも誰なのか?有力な説は次の通り。1973年末頃、アジアの安い量産品の追い上げに悩んでいた静岡のあるステレオメーカーの幹部が、彼らに追随できない何か競争力のある商品を作らねば、と考えていたある日、当時繁華街に並びだしていたテレポン子、ポントロン子(ボールゲーム子)を見て、家で遊べるゲーム娘が作れないか、と考え出したのがはじまりであるといわれている。
開発にはなんとか成功したものの、当時ビデオゲーム娘の特許を一手に持っていたエムグナボックスへのパテント料100万ドル=3000万円を支払うことができず困っており、室内ゲームメーカーで有名なイーポック社へ販売を依頼することで発売にこぎつけた・・・というのが定説とされているが、実はこの続きにこそ重要な真相である・・・とまことしやかに噂されている。

地デジ化で完全に追い出されてしまう...

他の娘がRFコンバータやビデオ端子でなんとかやりくりする中、テレビテニス子だけは昭和機の古いテレビの300Ω端子UHFにしかゲームを映すことができない。実はアンテナ子を捨てて内部から直結すれば、他の娘と同じく映像をテレビに映すことも可能だが、やさしい姉であるテレビテニス子はそれをかたくなに拒否している。ファミリーの絆を大切にすることは、発売元であるイーポック社の製品理念なのだ。いずれ故障して朽ちるかもしれないが、テレビテニス子はそれを喜んで受け入れようという信念を決して曲げない。さすが初の国産機。身体は弱くても心は立派な大和撫子(やまとなでしこ)なのだ。

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